人は眠ることで体や脳の元気を回復するのだが、不眠症になると、そのチャンスが失われてしまう。

全く眠ることができなくなるという究極の不眠症ともいうべき恐ろしい病が存在する。

その病は、「致死性家族性不眠症(FFI)」というもので、
発症率1/1000万という大変稀有な遺伝子疾患で、現在のところ治療法は発見されておらず、
発症後の余命の大半は約2年とされ最後には死に至るという。

FFIは遺伝子疾患なのだが、この遺伝子を保有する家系の人が沈黙を保っているため、病気の詳細はあまり知られていない。

いつ、家族の誰が、発症するのかしないのかは全く不明な上、治療法もないとなれば、
誰もが話題にしたがらないのは、無理もないことだろう。

自分や我が子に、このような残酷な運命が待ち受けているとは、誰も思いたくないのは当然のことと言える。

FFIの家系:シルヴァーノの挑戦

だが、自分の家系を苦しめてきたFFIについて、オープンにすることを選択した家族がイタリアにいた。

ヴェネチアに住むのシルヴァーノという男性は、父親とふたりの姉妹がFFIを発症し、亡くなっているが、
1980年代の53歳の時、自らもこの不治の病に屈した。

シルヴァーノは自らの遺志で、この病の原因究明のために自分の脳を提供した。

シルヴァーノの姪の夫であるイグナツィオ・ロイターと、その友人ピエトロ・コルテリの二人の医師が脳を調べるとともに、
ダニエル・T・マックスが、シルヴァーノの家系を18世紀後半のヴェネチアの医師まで遡ってFFIの調査を行った。

結論を先に言ってしまうと、シルヴァーノやその家族の命を救うことは叶わなかったが、
脳の徹底的な調査により、なんとFFIの原因のひとつが判明した。

ちなみに調査の内容は、ダニエル・T・マックスにより『眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎』という本にまとめられた。

 

FFIの原因物質「プリオン」

遺伝子異常により、タンパク質のプリオンが変形し、異常に増殖して、脳内に蓄積してしまうことでニューロンに害を及ぼすのだが、
どういうわけか、中年期にしかこの症状は確認されていない。

FFIは、以前世間を騒がせたクロイツフェルト・ヤコブ病や狂牛病と同じプリオン病の一つとされる。

プリオンは、周囲の環境に対する我々の自律反応を調整していることが、長年の調査により判明している。

それゆえ、プリオン異常が増殖すると、脳内がめちゃくちゃになってしまい、異常な発汗や瞳孔の収縮、無気力、便秘、
慢性不眠症などの症状があらわれるのだ。

FFIは、不眠に苦しむのみならず、周囲に対する知覚や意識がなくなる人事不省になることもある。

コルテリによると、これは深い眠りの時にあらわれるレム睡眠の状態と酷似しており、患者は夢を行動で表わしていると言い、
テレサという某女性は、常に髪を梳くような仕草を繰り返していたが、発症前は美容師だったという。


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未知の治療に挑んだ患者

FFIは、肉体的にも精神的にも急速に衰え、通常発症後約2年で死に至る。

だが、1990年代、アメリカ人男性ダニエル(仮名)は、FFIに犯されつつも、
ただ死を待つだけでなく、常軌を逸しているようなものも含めて、ありとあらゆる治療法を試し、この運命に抗おうとした。

ビタミンのサプリを飲み、定期的に運動して全身の健康状態を改善させ、ケタミンや笑気(一酸化二窒素)などの麻酔薬まで用いたが、
あまり効果は得られなかった。

また、ジアゼパムのような睡眠薬を服用してみたが、熟睡はできず、15分程度のうたた寝しかできなかったため、疲労回復などできなかった。

しかし、温めた塩水を満たした感覚遮断タンクの中でぷかぷか浮かんでいると、いつの間にか眠りに落ち、
ついにしっかり4時間半の至福の睡眠をとることができたのである。

だが奇妙なことに、ダニエルは目覚めた時にひどい幻覚に悩まされ、自分が生きているのか死んでいるのか混乱するようになり、
数年間苦しむ結果となった。

その後、電気痙攣療法などの本格的な治療を試みるも、一時的に意識が無くなる、ひどい健忘症に悩まされるようになるなど
効果は得られず、様々な勇猛果敢な試みにもかかわらず、ついに命を落とした。

だが、余命約2年と言われる一般的なFFI患者よりは死を先延ばししたことは確かだったため、
医師たちはFFIでも寿命を延ばす方法が他にあるのではないかと考えるようになった。

コルテリは「自分たちにも何か少しでもできることがあるかもしれない」と語った。

 

新たなる治療法の研究

「ドキシサイクリン」という新薬が、プリオンがくっつき密集するのを防ぐ可能性があることを臨床試験で発見された。

即ち、この新薬によって、FFIになる危険性のある人の体内にプリオンが蓄積されるのを阻止することができ、
病気の進行を遅らせたり、妨害することができるかもしれないので、FFI治療法発見に近づいたかもしれない、
と、ヴェネチア在住のロイターらは発表した。

だが、薬を試すためには、シルヴァーノの家系の現在の世代に対し遺伝子検査を行い、
誰がこの異常遺伝子を持っているのかを調べ、被験者を探し出さなくてはならない。

しかし、お先真っ暗なこんな絶望的な運命が、自分の身にふりかかるという検査結果を誰が聞きたがるというのだろうか?

そこで、カモフラージュのためFFIの危険性のない15人の被験者を加えて、見せかけの検査・治療を行い、
今後10年間患者を継続して観察し、もし6人以上がこの病気を免れたら、薬の成果があったという結論が導き出される。

しかし、コルテリら一部の医師は、この治験は疑わしい結果しか出ないかもしれないとする2つの理由を挙げている。

一つは、被験者によっては、薬の副作用を起こし、実際に診断を明かすと不必要な苦痛を与えるかもしれないことを挙げている。

二つに、80代になるまで発病することのないFFIの遺伝子をもつ、たまたまラッキーな人たちなのかもしれないので、
最終的に生存者が何人かいても、それが必ずしも薬が効いたことを示しているとは限らない、としている。

しかし、シルヴァーノの家族は、何代にもわたり自分たちのDNAへの呪縛から解放される可能性に賭けてみようと、
これらのリスクがあるにもかかわらず、治験を進んで受けようとしている。

 

FFIの遺伝子をもつ姉弟

アメリカのドキュメンタリー番組「60ミニッツ」でFFIが取り上げられた際、
オーストラリア:クイーンズランド在住の姉弟、ヘイリー(30)とラクラン(28)・ウェブが紹介された。

二人の祖母がFFIになった時、二人はまだ10代だったが、
ヘイリー曰く「うちの家系はFFIの呪いがかかっているのに気がついた」のだそうだ。

「祖母の具合がどんどん悪くなり、視覚を失い、幻覚が出て、喋ることもかなわなくなり、重度の痴呆症のようだった。
FFIだと診断された時、うちはFFIの家系なのだと初めてわかった」

彼らの母親は2011年に発症し、ひどい幻覚に苦しみながら、僅か半年後天に召された。

ヘイリーとラクランは、異常遺伝子保有者だと診断されているが、
いつ、どのようにこの病が発症するかは全くわからない。

「おばは42歳、母は61歳、祖母は69歳、母の弟は20歳で死んだ。
自分たちには発症しなければいいと思っているけれど、明日発症するかもしれないし、10年後発症するのかもしれない。
一日でも早く治療法が見つかることをただ祈るだけ」

ヘイリーとラクランは、あれこれ思い悩み、その場で足踏みしているのではなく、
治療法を見いだそうとしているカリフォルニア大学の研究に参加している。

「情報が、答えが、それよりも何よりも、治療法が見つかって欲しい」

この悪魔の遺伝子の保有者だと知らされることは、死刑を宣告されるよりも恐ろしいものかもしれない。

今夜が永遠に眠れなくなる夜の始まりになるのかもしれないという恐怖に悩まされる日々が訪れることは、あまりに残酷なことだ。


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